国語で教えるもの
保護者の方から「計算はできるのだけど、文章題が苦手で…」というご相談をよく受けます。そんな生徒さんに「〜と書いてあるけど、どんな計算したらいい?」と重要な部分だけを読んであげると、あっさり答えを出したりします。場合によっては、ただ最初から問題文を読んであげるだけで「あ、そうか」と言われ、問題を解かれてしまうことさえあります。
これらのことは、文章を読む経験が以前より少なくなったことと関係しているように思えます。例えば、ある新製品を買ってきて、さあ使ってみようかという場合を考えてみましょう。以前ならば、自分の使用目的に合うように、事前に必ず取扱説明書を読まなければなりませんでした。しかし今では、分厚い説明書を読まずに、使い方の動画を視聴することが多くなりました。場合によっては、製品の直感的な操作が可能であったり、AIなどの搭載により細かい設定をする必要がなくなったため、使用法を確認することすら必要なくなってきました。また、最近のコミュニケーション手段であるSNSでは、筋道立てて長い文章を書くことよりも、直感的に理解できるように絵文字などを駆使して短いフレーズで書くことが要求されたりします。
たとえこのような世の中になったとしても、「文章を読んで理解する能力はもはや必要ない」という人はほとんどいないでしょう。世の中には、以前とは比べ物にならないくらい多くの情報が飛び交っています。その情報のほとんどは文章として記述されています。ですから、文章を理解する能力に対する必要性は、昔よりも大きくなっているともいえるでしょう。文章を読んで理解する能力を養成すること、すなわち国語の重要性は(私が改めて指摘するまでもなく)誰もが認めるところではないでしょうか。
こんなことを書いているにもかかわらず、私自身は学校の国語の授業があまり好きではありませんでした。というのも、国語の授業はまるで先生の読書自慢を聞いているようで、全く面白くなかったからです。例えば、「文学作品を読む」授業ならば、こんな感じではなかったでしょうか。まず最初に文章を音読し、次に場面の情景や登場人物の心情などが説明されます。そこで、「あなたは〇〇についてどのように思いますか」と質問されます。こちらが標準的ではない(=指導基準に合致しない)返答をすると、指導基準に沿った解釈をするように指導されることになります。当時の私の理解が浅くて不十分だったことは認めるにしても、文章の解釈は人それぞれであっていいはずで、正解・不正解を判定されるものではないはずです。ですから、「この文章を読んだらこのように思うはず」とか「このくらい深く文章を読み込まないとダメ」なんて大きなお世話だと思っていました。
残念ながら、今でも国語の授業は大して変わっていないように感じています。というのも、教科書の文章についての問題を解いてもらうと、本文も読まずに答えだけを書く生徒さんをよく見かけるからです。こんなときに「文章を読まずに何で答えが書けるの」と聞くと、必ず「授業で学校の先生が言ってたから」と返ってきます。さらに、学校の授業で教えてもらわなかった点が問題になっていたりすると、文章も読まずに「わからないから答えを教えて」と言われます。こんな時は決まって、学校の国語の授業でいったい何を教えているのだろう、と思わずにはいられません。
また、国語が嫌いだった「つけ」なのかもしれませんが、文章を書くことの難しさを(今更ながら)実感しています。自分のための覚え書きであれば、後で自分が読み返したときに思い出せる程度のもので十分でしょう。しかし、他人に読んでいただくための文章は、そう簡単には書けません。読んで分かりやすい文章は、適切な単語を(文法に従って)適切につないだ文からできています。それらを適切な接続語を使いながら適切につないでまとめることで、意味のある文章となります。何度も「適切」と書きましたが、あやふやな感覚だけでこれを貫き通すことはとても難しいです。すなわち、厳密で論理的な「適切/不適切」の判定を、あいまいで感覚的な「自然/不自然」で判定してしまいがちなのです。さらに言えば、国語の成績が安定しないお子さんをよく見かけますが、そのほとんどが国語の問題を「感覚」だけで解いています。「感覚」があっていたら高得点が取れるが「感覚」ずれていたら点が取れないのでは、高得点を取れるかどうかは運次第ということになります。
国語で教えるべきものとは何でしょうか?少なくとも、著名な文学作品の標準的な解釈を覚えることではないはずです。ですから、私の指導では、学校の教科書で扱っている文章を使った問題演習を基本的に扱いません。ところで、算数・数学ならば、数・図形のしくみと扱い方(計算方法)が教えるべきことです。そのために、計算ドリルなどで数や図形の扱い方を「訓練」させています。そこで私の国語の指導では、言葉のしくみや扱い方を「訓練」することに主眼を置いています。
以下に、私が重要視しているポイントを挙げます。
漢字の読み
- 読み取りが苦手な生徒さんが、実は漢字が読めないから何が書いてあるかわからなかった、ということは結構あります。漢字ができるかどうかは、純粋に努力したかどうかでしかありません。特に、漢字を読めるようにするには、様々な文章を読んで読み方を経験すること最も重要です。逆に言えば、文章を読まずして漢字の読みを習得することは難しいと思います。ですから、とにかくたくさんの文章に触れさせるように意識しています。また、漢字の読み書きに「理屈」は不要ですので、私が作成したプリント等を用いて学校で習っていない漢字でも無理のない範囲で教えています。
文の構成の理解
- 「感覚」で文章を読んでいる生徒さんを見ていると、主語・述語の関係を正しく理解できていないことが多いです。特に、日本語の文では主語がしばしば省略されるので、主語をきちんと理解していないまま読み進めても文書の意味を正しくとらえることは不可能です。このような場合、特に主語の意識を徹底させるような指導を心がけています。同様に、修飾・被修飾の関係も重要です。また、ただ文章を読ませるだけでなく、様々な切り口から文の構成の理解するための問題も用意しています。
いずれも即効性のある方法ではありませんが、継続すれば国語力は向上します。最初は文章問題を与えただけで読もうともしてくれなかった生徒さんが、いつの間にやら自分で読んで正しい答えを導けるようになってきたと感じることも少なくありません。