算数と数学
「小学校までは算数が得意だったけど、中学校に入って数学になったら苦手になった。」という声をしばしば耳にします。どちらも「数」を扱うのですが、そんなに大きく違うのでしょうか?様々なところで両者の違いが言及されています。それぞれの教科の学びの根底には、以下のような考え方の違いがあるのではないかと私は考えています。
算数 数を利用する方法を習得すること。
数学 数の体系がどのようになっているのかを追求する学問。
すなわち、算数は「どのように」という方法を重視するのに対し、数学では「なぜ」という論理を重視します。
算数の例として、「分数で割る計算」を取り上げます。「分数で割る計算」では、割る数を逆数(分母と分子の数を入れ替えた数)にしてかけます。では、なぜ「逆数をかける」のでしょうか。これは、小学生から聞かれたときに返答に困る質問として有名なようです。解説はこの文章の趣旨から外れるのでしませんが、「逆数をかける」という方法さえ受け入れれば答えを導くことは難しくありません。そのため、ほとんどの人はその意味を意識していないで使っているのではないでしょうか。意味もわからず使うなんてよくないという意見もあるかもしれませんが、私はそうは思いません。数を利用するためには割り算の習得は必須です。意味が分からないなら使ってはダメということなら、かなりの人が「分数の割り算」をやってはいけないということになるのではないでしょうか。例えば、テレビのリモコンについて、動作のしくみ(内部の電気回路や、赤外線による遠隔通信の方法)を理解できなければ使ってはダメという人はいないはずです。この例のように、(小学校の先生が原理を教えていないわけではないですが)理屈はともかくやり方を習得させようという立場で教えているような例が算数には多くあります(九九、掛け算・割り算の筆算など)。
一方で、中学に入ると算数が数学になります。数学は学問ですから、論理的に説明されます。極端に言えば、原理だけは説明するが、方法は自分で考えろというような立場です。ここでは、つまづいているのをよく見かける「負の数を引く」ことを例にとります。互いに反対の性質をもつ量(収入と支出、利益と損失など)は、正の数と負の数を使って表せると教えられます。「負の数」・「引く」の反対はそれぞれ「正の数」・「足す」なので、「負の数を引く」とは「正の数を足す」ことだというのです。このような説明だけで解ける人が一定数いることも事実ですが、原理の説明だけでは何をしたらよいかわからなくて塾に助けを求めに来る人が多いように感じます。
「方法さえわかれば、意味はどうでもよい」ということではありません。数学が扱う数の世界は、あらゆる演算を行っても矛盾が起きないような体系になっています。その体系を支配する規則を数学で教えますが、数を「正の数」と「負の数」(と0)で表せば(とりあえず)十分なのかどうかは、もっといろいろなことを学んで先に進まないと実感できないです。ですから、この段階で原理だけを説明して理解しろという教え方では、落ちこぼれを多数出てしまうことになりかねません。この場合、算数のように「数を利用する方法を習得すること」に主眼をおいて指導するべきだと私は考えます。数の世界の扱い方に慣れてくれば、その体系を支配する規則はつかめてくるはずです。ところで、「うちの子は、やり方の意味がきちんと理解できないと何もできないので、まず意味をきちんと教えてほしい」といったご父兄からの声をいただいたことがあります。ですが、原理を聞いて方法を理解することはとても難しいです。むしろ、まずは解き方の手順を繰り返し練習し、その結果として原理に対する理解が生まれることもあるのです。
上の例の「負の数を引く」ですが、私ならば、原理の説明はせずに「ー(ー)は1つの+に書き換えろ」と具体的な作業内容だけを指示します。問題演習を繰り返して作業内容に習熟してくると、負の数の扱い方がわかってくるようになります。すると、「負の数を引く」のは「正の数を足す」と同じであることに気が付きます。その結果、負が「反対」と同じような意味であるという感覚が生まれてきます。
とはいえ、原理から手順を説明する方法がすべてダメというつもりはありません。状況に応じて様々な指導法を使い分けることが最も重要なのです。(例えば、先程の「負の数を引く」ことの意味を数直線を使って説明する時にはこちらのプリントを使います。)わからなくて困っている人がわかるようになる「ツボ」は、人それぞれ異なります。1つのことを説明するために複数の道筋をもっていることは、指導者にとって必須なことなのです。原理の説明から手順を導き出させる演繹的方法と、具体的な手順の説明だけで問題演習を繰り返して原理を体感させる帰納的方法を適宜組み合わせつつ教科指導を行います。